そば切りの発祥地
「そば切り」の文字は天正時代(1574)から

今日、「そば」と言えば麺状の「そば切り」のことを指す。食用としてのそばの原始形は粒食であり、次に粉食になってからも「そばがき」など単純な料理の時代が続いた。「そば切り」という形が何時ごろ発案されたかは明確でない。残っている書物を当ってみても戦国時代以前には該当する記述がなく、安土桃山時代の天正に至って「そば切り」という文字が初めて登場する。
長野県木曽郡大桑村定勝寺に保存されていたこ古文書によれば、天正2年(1574)本堂修理の竣工祝いにそば切りを振舞ったと記述されている。現在ではこれがそば切りに関する最古の記録であろう。
鎌倉時代以前の文献にすでに「麦縄」、「索餅」という文字が見える。これらは小麦粉で作った麺を意味し、索餅はソウメンの原型ではないかと考えられている。15世紀になると、ウドンを意味する「切麦」という文字が出てくる。ソウメンやウドンを作る者が「そば粉を麺に出来ないか」と思いつくのは自然のことと考えられ、戦国時代から江戸時代にかけて、各地に自然発生的にそば切りがうまれたのではなかろうか。
俳人森川許六編、宝永3年(1706)刊「風俗文選」には、「信濃国本山宿(塩尻市)より出で、あまねく国々にもてはやされける」とある。