蒸篭の由来

「蒸篭(せいろ)といえば「もり」蕎麦の呼称、店によって呼び方が違うだけ、あまり真剣に考えたことがない人がほとんどだろう。もともと蒸篭とは、読んで字の如く、蒸すための道具。それなのに何故か、蕎麦が蒸篭の上にのっている。現在の蕎麦の食べ方であれば、器としては、水もよく切れることもあり、ざるのほうが適しているのではと思ってしまう。わざわざ蒸籠を使う必要はない。話は延宝から元禄へと遡る。そのころ、蕎麦切りを湯通ししないで、蒸篭で蒸して出す「蒸し蕎麦」がとても流行った。当時の蒸し蕎麦切りは、蒸したものを別の器に盛り、蒸篭で出したわけではないのだが、現在のように茹でた蕎麦を蒸篭に盛りつけるのは、その時代の名残だといわれている。「江戸はニ八の蕎麦にも皿を用いず。外面朱塗り内黒なり、底横木二本ありて竹簀を敷き、その上に蕎麦を盛るこれを盛りといふ。盛り蕎麦の下略なり」と『守貞漫稿』という本に記されている。
「蒸篭」の文字は幕末の品書きにも登場する。食器の名前が蕎麦の名目になってしまい、遥か時代を下った現在でもその名をとどめている。
昔の蒸篭は耳つきのもので、現在のものに比べると小さかったが、高く山のように蕎麦を盛るために、高さがかなりあった。そのため、山のように盛ったまま重ねることもできたようだ。大きさは六寸角(約18センチ)、これに六分(2センチ)の桟を二本渡し、その上に三分(約1センチ)の簀(すのこ)を敷いた。蒸篭の側面はだいたい朱色で両側には店の紋や屋号が書いてあった。
天保年間(1830〜44)に蕎麦店が幕府に値上げを要求したのだが、あっさりと却下された。しかし、上げ底にすることは許された。以来、現在まで上げ簀となった。明治時代に入ってから面積を大きく見せるために長方形の蒸篭も登場する。器が小さくなり上げ底だろうと蒸篭は、蕎麦が山のように盛り上がっているほうが良い。山を崩しながらて手繰っていくのが粋だからだ。